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本田 幸久のウガンダリポート
 もともと、ウガンダにおいてエイズ遺児の支援活動を昨年度1年間していたのですが、そこでゆかさんにラカイ地方のエイズ遺児の現状を聞き、なんてことだと思い訪問させていただきました。今年の1月、1ヶ月間、ラカイにある孤児院にて過ごさせていただきました。孤児院は、現地の人々の持ち出しと無償の協力によってなりたっていました。孤児院の規模は、6畳・4部屋のぐらい3部屋のトタンで作られた小さなセンターと、小高い丘の広大な敷地ぐらいのものである程度のものです。これが孤児院?最初はあまりの小ささに驚いてしまいました。
 1月17日未明、すでにエイズで母親を亡くしていた女の子(10歳)の父親が亡くなりました。
そこは2週間程前に訪ねた家庭で、そのときには何ヶ月も床に伏せているという父親を目にしました。亡くなった当日、知らせを受けたスッタフと共にお悔やみの言葉を述べに行き、再び同じ床に細い丸太のようになっている動かぬ父親の姿を目にする事になりました。一人娘である彼女も隣に座っていたました。なにくわぬ顔でいるのが少し奇妙に写ってしまいました。

翌日、私たちは葬儀にも参加しました。神父が長い祈りの言葉をささげ、棺を墓地へと運ぼうとしたとき、「わーん!わーん!」と突然張り裂けんばかりの声があがったのでした。人の支えがなければ歩く事もできないほど泣きじゃくる小さな女の子。彼女が片親の遺児から孤児に変わった瞬間でした。

        エイズによる死亡者とその子ども

エイズに苦しむ人
私は1ヶ月の間に100軒の遺児家庭(遺児がいる家)を訪れました。このラカイの村には、両親を亡くし子どもだけで生活している家庭が多く存在しています。そうした家庭が、私が訪れた家100軒中、23軒もありました。

(23軒以外の家は、祖父母や地域のボランティアなどが、遺児を引き取って暮らしていました)

二人の子供だけが住む家


その現状に驚きました。
両親だけでなく、祖父母や親戚もいない、「子どもだけの生活」とはいったいどういうものなのでしょうか。想像もつきません。そして、子供だけで生活をしている子供たちには、ほとんど同じようなストーリーがありました。それは親が亡くなる前、エイズ治療のため土地や身の回りの生活必需品を売り払い、スッカラカンになったときに子どもだけが残されてしまったというものです。そういった子どもたちは、初等教育以前の厳しい状況に立たされているのです。

過去ウガンダでは、エイズの爆発的な感染流行により人工の1割を亡くしているという事実があります。そうしたウガンダでは、学校教育のほかにもエイズ教育というものも大きな教育の柱となるのではないかと思わされます。エイズ遺児がエイズに対してしっかりとした知識をもつことは、今後もこうした悪循環を予防するという意味で大きなことではないかと思うのです。

ここラカイ県は1970年代前半よりエイズの症例が認識されはじめ、最初にエイズが最初に広がった地域とされています。現在ウガンダ全体でのエイズ平均感染率は6.4%(ウガンダ政府の統計による)なのに対し、ラカイ県は11%以上という依然に高い率です。
どんな風に寝てるの?再現してもらいました。
家族写真(エイズ遺児家庭)
祖母と4人の子供が暮らす家 祖母と4人の子供が暮らす家の詳細(これだけのものしかありません。扉はありません。)

老いた祖母と暮らす遺児
像日病(右足元)を患う遺児の保護者(祖父母)
2人の幼子に授乳する祖母

ウガンダの朝日・教会・牛飼い
毎度のことなのだが、ここラカイの人たちは本当によく物をくれます。ちょっと公平さに欠けた言い方かもしれませんが「草の上で寝ているような、厳しい環境の人たちから物をもらうのは、申し訳なくて仕方がない」と心苦しく思うのです。ときには、ニワトリを貰ったこともありました。贈り物をもらうと、「自分は搾取してしまっているのでは」という単純な疑問に苛まれました。
そしてなによりも、家庭をまわると病気の人に出会ったり、子どもだけで生活している家に行ったり、そんな現状は耐えがたいし、見ているこちらも辛い気持ちになりました。
1時間かけての水汲み

公立小学校授業風景

小学校の子供たち
一度だけ、いくらか病気の治療のためお金を出したりしましたが、現実は全部の家庭に何かしてあげられるどころか、何も出来ないことが多いです。
そんな中、私の心の支えになったのが、「愛の反対は憎悪ではありません。無関心なのです」というマザー・テレサの言葉でした。今の私には、その場では何もしてあげられないのだけど、あなたたちに関心があるし関心を示したいのです。
私一個人としてでも、隣人のあなたたちに関心を示していくことはできるはずだと思うのです。そして、この関心からいったい私とあなたとの間に何が生まれるのかわかりませんが、私だけの贅沢・幸福という考え方には、はっきりとNOと言うことができるとおもいます。
Written by Yukihisa Honda
2006年1月
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